「桃栗三年柿八年 枇杷は早くて十三年」呼ばれるようにとっても手間のかかる果物です。 びわは3000年も昔からインドの古い仏典の中に、万病を治す植物として登場します。

びわの樹は「大薬王樹」、びわの葉は全ての憂いを取り除く「無優扇」と名付けられていたことからも、たくさんの方々に深く信頼されてきた植物だったことからうかがえます。

日本では、奈良時代、光明皇后がつくった「施薬院」(貧しい人々や病気の人々の救済施設)でびわの葉の療法が行われていたという記録が残っています。
 
 
江戸時代後期から明治にかけて、長崎へは中国からの貿易船で運ばれてきた「唐びわ」。
「茂木」と「田中」大きく2つの品種が日本では主に栽培されていますが、時代や背景により、人気の品種を多く栽培してきました。

現在では、品種改良が進み、20種類以上の品種が岡垣町で栽培されています。
田中(左)と茂木(右)  昭和28年
 
 
岡垣町では、びわの栽培が開始され100年余りが経過し、果実としての生産は福岡県で第1位を誇ります。(生産高は、ハウスで20t ・路地もので80t)
明治時代に大村永壮が、長崎県の茂木村のびわ栽培を視察したところ、岡垣町の自然条件が果実を栽培するのに適していることが分かり、20本の苗を植えたことがはじまりです。

びわは、寒害を受けやすいので、全国的に栽培面積は少なく、温暖な海岸近くの土地での栽培が適しており、丘陵斜面で気温条件の良い場所で多く栽培されています。

岡垣町は、北九州市から西へ約30km、福岡市から北東へ約40kmの場所に位置するペットタウンとして発展し、著しい町です。
町の北部は響灘に面しており、日本の白砂青松百選に数えられる「三里松原」や環境省快水浴場百選に名が記された「波津海水浴場」やウミガメが産卵に訪れる砂浜などがあります。
西側には宗像四塚と呼ばれる300m〜400m級の山々が連なり、豊かな自然に恵まれた町です。
 
 
岡垣町のびわ栽培は大村氏の熱心な普及活動により、びわ植栽する人が増え、開墾面積が増大していきました。

湯川地区で栽培が始まったびわ栽培が、高倉地区にも広がり、共販の一本化が確立すると、北九州方面ではびわの産地としてトップの出荷となり、福岡方面での評価も高まりました。

ハウスびわ栽培も昭和60年ごろには、本格的に始まりました。また、他の地区との共販も完全に確立し、その品質の高さと出荷量で、福岡県で一位となりました。
現在では、「高倉びわ」として、全国に果実の特産品として出荷しています。

 
 
びわの実は、果実として有名ですが、プロジェクトでは、これまで利用をしていなかった「びわの葉・種等」を使った商品の開発を行います。

「高倉びわ」は、果実として有名になりましたが、昔から薬効成分があるといわれている、びわの葉に注目し科学的に研究して、健康に役立つ商品を開発し、販売普及活動を進めていきます。